2009年5月29日金曜日

五重の研修はかなりアカデミックな内容で身が締まりました

5/28(木)


朝 休み


昼 研修会


夕 ひたすら研修会・・・


 15時から始まった研修会は途中10分のトイレ休憩を挟んで20時まで続きました。終了時刻を聞いていなかったので、これはちょっと誤算でした・・・。内容は、我が浄土宗の伝法行事である「五重」の最初の「初重」。講師は大正大学の学者さんなのでかなりマニアックな講義でしたが、僕はわりとこういうアカデミックなお話は好きな方なので、かなり聞き入ってしまいました。


 「初重」では『往生記』という書の講釈から始まるのですが、この書、どうやら法然上人の書かれたものではないらしいというのが通説でして、それなのにどうして七祖様(浄土宗鎮西派(知恩院派が本山)の7代目の方で、五重伝法を確立されました)がこの書を選んでらっしゃるのか、とか、そもそも『往生記』っていうタイトルの本は現存していないので(もともとから無いのか、消失したのか)どうたらこうたら、とか、まあ近年このようなアカデミックなお話を聞かせてもらえる機会がなかったので、貴重な5時間になりました。それにしても、宗教を「学ぶ」というのは、「信仰」とはベクトルが違っていて、客観的に我が宗のことを考えるきっかけにもなるんですね。いい勉強になりました。


5/29(金)


朝 月参り1件


昼 ジム


夕 通夜


 まとまった時間がなかなかとれず、結局今週のジムは今日だけになりそうです。週に2日は行きたいのですが、なかなか思い通りには進まないのが日常です。夕方に通夜も入ったので(住職は名古屋に出張中)帰る時間も考えながらのトレーニングでした。


 通夜ではだいたいお話しする内容は決めてあります。詳しくはまた次の機会にゆずりますが、「夜通しであることの意味」「南無阿弥陀仏の功徳」などをお釈迦さまの故事に倣ってお話し、実際にお念仏を一緒に唱えていただいて終わります。ご家族とご近所さんというような少人数の法要でしたが、皆さんがうなずきながら僕の話を聞いてくださったので満足いたしました。大人数でしたら僕の修業が足りていないので、なかなかこうはいかないんですよね・・・



2009年5月27日水曜日

僕がかんがえる布教活動とは?

朝 月参り4件


昼 月参り2件


夕 国際経済予測レポート作成


 月参りはお経を読むのも大事だけど、その後でいろいろとお話をしたり聞いたりすることにとても大きな意味があります。ご先祖様の供養だけが目的でしたらお経だけでいいのですが、お坊さんにはもう一つ「布教」という大きな目的があるのです。布教といっても、昔ながらの、お坊さん→檀家さんというような「教えてあげる」というパターンのやり方だけでは通用しません。メディアの発達や教育水準の高まりのおかげで、お坊さん以上に物事に詳しい人はざらにいらっしゃるので、偉そうに知識を振りかざすだけでは全くお呼びではなくなるのです。ではどうするのが本当の布教なのでしょうか。


 ざっくり言って、「日々生まれてくる不安を無くすために、どのように仏教を利用すればよいのかを提案すること」が僕の考える布教活動です。何でもかんでも「○○上人のお言葉ですから▲▲しなさい。」(○○には各宗派の宗祖の名前が入ります)ではすみません。だいたい時代背景が違いすぎて悩みの種類と解決策がマッチするはずがないのですから。なので、現代的な問題点を上辺だけでなく本質をきっちり把握して、解決策(仏教的修業ということになります)を的確に提示できてはじめて「布教」なのだと僕は考えます。ま、こうして書くのは簡単なのですが実践するとなるとかなり難しいです。


 お坊さんは出家と呼ばれるように、世間とはちょっと距離を置いた生活をするのが元々の生き方です。ですが、在家の方々が何において悩んでいるのか、どういうところに不安を持っているのか、それがわかっていなければただの「世間知らず」として、話すら聞いてもらえないかもしれません。それではお坊さんは世間で役に立たない存在になってしまいますから、世間との最低限の関わりは残しておくべきだと思っています(最低限というのは妻帯とかも含めてしまいます、僕の場合は)。そうしてこそお坊さんの話に耳を傾けてもらえて、皆が「ちょっと仏教的な生活をやってみようかな」という気持ちも生まれるのだと思います。


 世間の悪い風潮には流されず、物事の本質を追求して仏法を求め、(仏法を知らない)衆生を導いていく。僕の布教活動は今後もこうありたいと思います。



2009年5月26日火曜日

生命保険の見直し相談を受けました

朝 月参り6件


昼 買い物、片づけなど


夕 生命保険の見直し相談


 知り合いから生命保険の見直しについてメールで相談を受けました。僕は元銀行員ということもあって、経済・金融問題を考えるのがすこぶる大好きで(煩悩の塊のような人間です・・・)ファイナンシャル・プランナーの資格も取得しています。この方からはしばらく前からご相談を受けることが多くて、今回も僕を頼っていただきました。これも立派な人助け・・・かな・・・。


 具体的なことは書けませんが、そもそも現在の状況において死亡保障が必要なのかどうかというところから始めました。知り合いに昔しつこく頼まれて入った保険の満期が来たけどどうしようか?というのはよくある質問です。一般的な回答としては、まず自分が亡くなった時に(遺産以外で)遺族にどれぐらいお金があればよいかという金額を考え、定期にするか終身にするかなどの商品を選びましょうというもの。個人的には死亡保障は一家の稼ぎ頭だけが入っていれば良いと思っているので(他の人は貯蓄がベスト)、その結論に持っていくためにいろいろと説明文を書きました。


 この方からはもう一点、今後の世界経済はどうなるのか?という超難問をいただきましたが、今日はもう時間がないのでまた明日に・・・とお答えして就寝。



2009年5月25日月曜日

着慣れない法服を着こなすコツを学びました

朝 月参り1件、漢方の病院


昼 家庭教師


夕 本山の法式指導、習字


 芦屋の漢方の名医に見ていただきましたら、体のあちこちが弱っているとの診断でした。しっかり気を補って恢復させていただきます。


 家庭教師は久しぶりに、公務員試験を目指している後輩が相手でした。今日のところはまずまず。ただちょっと計算ミスが多すぎるなあ。


 夕方、定例の法式指導。今日は法服法(ほうぶくほう)で、実際に袴やら道具衣(どうぐえ)を「きちんと」着てみる実践でした。いつもお葬式では「きちんと」着ているはずなのに、細かいところではいろいろと足りない部分がありました。いい勉強になりました。お坊さんはいろんなことに精通しておかないといけないんだなあとつくづく思った次第。



2009年5月24日日曜日

「和」の精神で再就職もうまくいきます

5/24(日)


朝 月参り2件、法事


昼 法事


夕 ジム


 法事2件。弟の就職がうまくいった話を失敗談も含めてお話しました。お釈迦様がお説きになった教えの中で大事なことの1つに「和」があります、という話。具体的には、自分の実力をアピールして売り込む面接ではなかなかうまくいかなかったけど、「僕がこの会社に入ったら皆が働きやすいムードを作って見せます!」「気持ちの良い職場作りのために経験や資格を活かします!」という「和の精神」を前面に出すことで、面接官の目を引くことができた、というお話。今の時代、「オレがオレが!」のタイプよりも、皆と協調して大きな仕事をやりとげようというタイプの方が受けがいいようです。


 夕方からはひさしぶりのジム。フルコースで乳酸がたっぷり溜まり、帰宅後すぐにバタンキュー。



至福の3日間!長野善光寺参りからアンマさんまで

5/21(木)


終日 長野善光寺参り


 明石組寺院の副住職メンバーで善光寺参り。毎月勉強会で集まっている仲良しメンバーでの初めての旅行でした。1日目は長野駅前のホテルからぐるっと町中を歩き回り、善光寺さんの周囲にある神社仏閣を参拝して回りました。夜は懇親会・・・長い夜だ・・・


5/22(金)


終日 長野善光寺参り2日目


 5:30からの朝のお勤めに参列。まずは天台宗のお坊さんの声明(しょうみょう)に聞き入りました。遠くでお参りしていたせいもあってなかなか細部まで聞くことができなかったのですが、浄土宗の声明を学んでいる僕にとってはかなり勉強になりました。こういう機会でもないと他宗の法要って参列することがないので大変貴重ですね。


 続いて浄土宗の法要。基本の日常勤行、ただし関東スタイル。さすがに大本山です。きっちりお稽古されているのがわかります。僕たちも見習わないといけません。


 境内をくまなく回った後、ホテルで朝食。チェックインの後、おみやげを買いに再び善光寺へ。そばを2食食べて(お腹いっぱい!)タクシー相乗りで小布施(おぶせ)まで出かけました。ここは栗の名産地。本来でしたら季節外れですが、モンブランとか「福栗焼き」などのお菓子をたくさんいただきました。かなりの量を食べてるなあ。


 小布施の駅から長野まで長野電鉄。そのままJRの特急に乗って名古屋経由で新大阪。ここで解散となりました。電車内はみんな疲れ果ててほぼ無言・・・


 いい旅でした!来年もこのメンバーでどこかに行きたいものです。


5/23(土)


終日 神戸でアンマ師のダルシャン


 詳しく書くとものすごい時間がかかるので、さわりだけ。「アンマ来日プログラム2009」というのがあって、世界的にも有名な慈善活動家のマーター・アムリターナンダマイーさんが来日されるというので行ってきたわけです。




amma.jpg


(公式HPより)


 朝から並んで抱擁してもらっただけで感激してしまい、結局深夜まで居着いてしまいました。すごい影響力のある女性なんですね。来年もぜひ行きたいと思います。ホント、感激でした!



2009年5月20日水曜日

同宗異派のマッチョなお坊さんとの邂逅

5/19(火)


朝 月参り1件


昼 ジム


夕 デート@京都


 久しぶりのジム。明日も時間があるのでランニングは明日に回し、筋トレを1時間強。20分だけ走ってサウナ。いい汗かきました。


 夕方からは電車で京都へ出て河原町で食事。そのままとんぼ返り。


5/20(水)


朝 月参り3件


昼 ジム


夕 部屋でゆったり


 トレッドミルで10kmランニング。ノンストップなのではじめから飛ばしてしまわないように速度を調節して走ります。64分で完走。


 走り終えてストレッチしていると、加圧トレーニングのKトレーナーがいらっしゃいました。このK氏、実は去年からの知り合いで、お坊さんの資格も持っていらっしゃいます。僕と同宗ですが違う派で修業された方で、昨年加圧トレーニングを受けさせてもらった時にいろいろと込み入った話もした関係なのでした。K氏の派の、ネットでは有名らしいヤバいお坊さんの話とか、お盆のお参りの話とか、尽きない会話が今日も続き、気がつけばけっこう時間が経ってしまいました。こういう縁も大事ですね。



2009年5月18日月曜日

マスクしていない僕は非国民か?

朝 月参り2件


昼 甲山大師にお参り


夕 本山にて法式研修


 電車に乗ったらマスクをしていないのは僕を含めて少数。うーん。みんなビビりすぎではないかなあとも思いつつ(不謹慎かな)、甲山大師にお参りに行くべく大感染地神戸を後にしました。今日は如意輪融通観音の御開帳の日でして、天気もいいし時間もあったのでしっかりお参りしてきました。迫力ありましたね。


 本山での研修後、仲良し4人で一杯。がんばった後の食事は格別おいしいです。ご縁に感謝です。



2009年5月17日日曜日

仏教的に考えることの一例としてのインフルエンザ問題考察

朝 月参り3件、法事


昼 法事2件、仏壇魂抜き


夕 家庭教師


 ご覧の通り、毎週日曜日は超ハードなスケジュールです。若いからいいものの、こんなスケジュールが続くとどうしても身も心も病んでしまいそうです(変わったお坊さんが多いのもそのせいなのかも)。たまには気分のリフレッシュが必要ですね。ちなみに僕の場合は、毎週月曜日の本山(京都)での研修会&習字の機会が貴重なリフレッシュタイムです。


 法事が3件あったわけですが、1件目は百か日。別名「卒哭忌(そっこくき)」とも言われ、仏教オリジナルではなく儒教的なお弔いの法要です、というお決まりのお話の後、「縁」のお話をしてみました。ちょうどインフルエンザが流行っているこのタイミングで、発病する人としない人にはどんな差があると思われますか?という問い掛けから、僕はお釈迦さまの教えに従って考えるならば「発病するためにはそれに必要な何らかの原因となる要素、とりわけ日ごろ抱いている悪い感情が起因しているのではないか」という私論を展開しました。不景気で町中の大多数が将来を悲観したり不安感で一杯である時に決まっておかしな病気が流行るので(歴史がそれを証明しています)、「がっかりしたり」「悲観したり」「気持ちが腐ったり」という「因縁」が発病という形で「結縁」している、というわけです。仏教的に考えるというのはこういうことなんですよ、正しいかどうかはまだわかりませんが、なんていう話でした。


 2件目は満中陰。位牌と仏壇にお魂を入れました。決まってお魂の話をします。以前ここでも書きましたね。それから、故人の供養についてお坊さんができることは限られていますから、ご家族や親戚が主体となって供養を続けてくださいね、といつものお話。他人であるお坊さんができることは、遺族の皆様方が供養の気持ちを向けやすくなるように環境を整えるお手伝いすることぐらいなのです(一般の方では難しく、重要なことではありますが)。


 3件目は中陰四七日。ものすごく丁寧な御宅で、こちらが恐縮してしまうぐらいの対応をいただきました。


 ふー。疲れた・・・しっかり休んで明日からに備えます!



2009年5月16日土曜日

お地蔵さんを仏壇に入れても良いか?

朝 月参り2件


昼 月参り2件、法事


夕 家庭教師2件


 やっぱり土日はハードな1日になります。そもそも仕事だけでも大変なのに、家庭教師(ボランティア)を入れてしまうところに無理があります・・・。でもまあ、必要とされている間は僕も喜んでお人様のために尽くしたいと思います。


 月参り先の奥様で市立病院の元看護婦(師)長だった方がいらっしゃいまして、この度の神戸市の高校生が新型インフルエンザにかかってしまったことについて様々な意見を交わしました。もはやフェーズ6は避けられないんじゃないだろうかとのお話でしたが、ヒト−ヒト感染が明らかになった以上はそうした措置がとられて然るべきなのでしょう。映画『感染列島』のパニック映像がプレイバックしてきました。


 他の家で、水子供養のためのお地蔵さんを家の中でお祀りしている方がおられまして、この度、仏壇の中で本尊様(阿弥陀如来)と一緒にお祀りしても良いのかどうかとの質問をいただきました。仏壇はいわばお寺の本堂の代わりです。ウチのお寺の本堂には本尊様の他にも、地蔵菩薩や毘沙門天、弁財天、弘法大師などの御尊像をお祀りしてありますので(もちろん安置場所は適宜変えてあります)、「全く問題ないですよ」とお答えしておきました。日本人の宗教観というのは非常にフレキシブルでステキです。


 法事でいただいた質問も実に考えどころのあるものでした。お盆についての質問でしたが、これはまた別の日に書きます。


 家庭教師。英語の不得意な高校生に去年からひたすら教科書の音読をさせていましたら、1年で見違えるほどの上達を示しました。去年から発音記号の読み方、アクセント、文節の区切り方など、音読に必要とされる基本的なスキルを伝授して、間違えたら何度も何度もやりなおしをさせて、正しい英語の発音を定着させてきました。最初はこれで本当にうまくいくのかどうか本人も半信半疑だったみたいですが、1年経過して自分の明らかな成長にやっぱり驚いているようで、いろいろと感謝の言葉をいただきました。よく投げ出さずに続けられた結果が出てきました。教え子の成長はわが事のように嬉しいものですね。家庭教師やってて良かったなあ。


 さて明日も忙しくなりそうです。がんばろう!



2009年5月15日金曜日

中間試験前の家庭教師4時間!やっぱりしんどいです・・・

朝 月参り5件



昼 家庭教師(高校生)



夕 部屋でゆったり



 朝から月参りをぶっ通し。それぞれの家で様々な交流体験をさせていただき、本当に感謝いたします。中でも印象的だったのは、この4月から中学校に通っている男の子を持つお母さんとのお話で、小さい男の子が身近で育っていくのをご自身の経験として見たことがないので、我が子がどのように育っていくのか不安だという内容でした。僕は独身なので偉そうに言えないですがという前置きはさておき、やっぱり鍵を握るのはお父さんの存在ではないでしょうか、という話をしてみました。学校であったことや進路の相談など、頼れるお父さんの存在は大きいものです。とはいえ、なかなか最初から父親に話しかけにくい年ごろでもありますので、お父さんの方からいろいろ話しかけてみると良いのではないかとアドバイスしてみました。



 昼から4時間の家庭教師。中間試験前だから駆け込みで集中講座。英語は単語から構文から動詞の基本的な活用からほとんど復習不足で、こりゃあ赤点だなっていうレベルの女の子でした。やっぱり基礎学力がないと時間をいくらかけても吸収が遅いです。もうちょっと時間があったらなあ。



 といいつつ、途中の休憩時間では「人生って何ですか?」「本当にキレイなものってあると思いますか?」というような哲学的な質問をいただき、日ごろ考えていることを高校生に分かりやすく説きました。僕は、自分の持っているいろいろな知識や経験で困っている人を助けてあげられてその人から「ありがとう」と言ってもらうのが何よりも嬉しいんだ、それが僕の人生だ、と回答しました。この思いは銀行員だったころから全く変わっていません。本当にキレイなものというのは難しい概念ですが、僕は「生命」だと回答しました。ただ、純粋な仏教の考え方ではないので、他のお坊さんが見ると怒られるかもしれませんね。



 最近の高校生もいろんな悩みがあるんだなあと実感しました。僕が高校生の頃なんてそんな高尚な疑問を抱いたことなんてなかったですからね・・・。でも若いうちからいろいろ悩んで、「回答なんて一つしかないわけではないんだ」という悟りを得ることができれば、こんなことにはならなかったのかもしれませんけど・・・







自殺  30代で過去最多 19歳以下11%増(東京新聞 2009年5月14日 夕刊)

***********(引用開始)***********






〇八年の自殺者数は前年に比べ八百四十四人(2・6%)減ったが、十一年連続で三万人を超えている。二十代は三千四百三十八人(3・9%増)、十九歳以下は六百十一人(11・5%増)で、若年層の増加が目立つ。  遺書や関係者の話などから、原因・動機が判明したのは二万三千四百九十人(72・8%)。複数の原因・動機がある場合は三つまで計上している。最も多かったのが「うつ病」で六千四百九十人。次いで「身体の病気」五千百二十八人、「多重債務」一千七百三十三人と続く。「就業失敗」や「失業」「生活苦」が増えており、景気悪化が影響していることをうかがわせる。

***********(引用終了)***********




2009年5月14日木曜日

青年会総会に出席して

朝 月参り2件


昼 青年会(神戸)別時念仏


夕 青年会(神戸)総会


 今日のメインは青年会。5月の例会は総会なので会計報告があり、また今年から会費を値上げするということなども話し合われました。いろいろ気になる点はありましたが、僕は初めての参加ですのでおとなしくしていました。そんな大事になるような話でもないし。


 16時から2時間、別時念仏。浄土宗でのお念仏は、尋常行儀(普段しているお念仏)、別時行儀(時期を決めて集中的にお念仏)、臨終行儀(亡くなった時に称えるお念仏)の3つがあり、今日のはその2つ目にあたるものです。普段の生活の中ではなかなか多くの念仏をお称えすることができないので(数多くお称えしなければいけないわけでもないのですが)一時に集中してお念仏しましょうというものです。2時間座りっぱなし、木魚叩きっぱなしはけっこう辛いですが、終わった時の爽快感はなかなかのものがあります。


 例会の後は食事をして解散。真っすぐ帰りました。面白い仲間達と和合して修業できるのは格別に嬉しいものですね。



慌ただしくも毎日楽しい!

5/11(月)


 朝 月参り3件


 昼 家庭教師


 夕 本山で勉強、習字


 久しぶりの公務員試験対策の家庭教師。1ヵ月ぐらい間が空いていたけど、ちゃんと勉強続けていたのだろうかと思いながら、やや難し目の問題を解いてみる。まずまず。


 夕方は今月から新クールがスタートの法式指導。所長がお葬式ができたとのことで、初っぱなから講師陣が勢ぞろい。夜は書道。ひらがなの楷書。「さしすせそ」が終わった。


5/12(火)


 1日休み


 月参り2件だけの予定だったので住職にお任せして僕はお休み。京都で友達を拾って天橋立までドライブ。いいお天気に恵まれて、日本三景を堪能しました。京都から帰る時、名神の集中工事に遭遇。夜10時ごろだったので渋滞もたいしたことないだろうとたかをくくっていたが、しっかりと10kmの渋滞につかまる。眠いしだるいしでフラフラ。途中のインターでコーヒーをがぶ飲みして頭の中をリセット。結局その日のうちには帰れず。


5/13(水)


 朝 月参り4件


 昼 ジム


 夕 淡路島の温泉


 土曜日以来のジムへ。フルコース。


 夜は近所の若いお坊さん3人と温泉へ。軽自動車で通勤割引適用の時間帯だったので945円(1人300円ほど!)で淡路島上陸。おいしいものをいただき、温泉に浸かる。この3人、かなりの温泉好きで、月1度の勉強会の帰りもちょくちょくそろってスーパー銭湯へ行きます。帰る途中、ショットバーでノンアルコールのジュースをガブガブ。ご満悦のまま帰宅。就寝。



2009年5月10日日曜日

密度の濃い1日。説法から家庭教師まで盛りだくさん

朝 法事2件


昼 法事、月参り1件


夕 月参り1件、家庭教師


 法事3件はかなりぐったりします。2件までは完全なる腹式呼吸の影響で心地よい疲れなのですが、3件目になるとお腹の力が緩んでくるようで、知らず知らず咽に力が入って強引に声を出してしまっています。まだまだ腹筋を鍛え足りないようです。


 法事では弟の再就職に際して家族でとりくんだことを引き合いに、家族として関わっていくことの大切さをお話しました。先日書いた私見 をかみくだいたものです。奥で聞いていたお婆ちゃんが喜んで聞いてくれていました。


 次の家では、「悩みの種」のお話。仏教の根幹に関わる大事な話です。簡単に書いておくと(また時間がある時に詳細を書きたいと思います)、お釈迦さまがお説きになった宇宙の根本原則として「縁起」がありますが(因果律みたいな概念です)、身の回りで起こっていることは総て原因となる「種」が育ったものに過ぎないので、この「種」をどうにかしてしまいましょうというのが仏教の修業です、というようなお話。「種」の存在にどのように気付き、受け入れ、克服していくか様々な方法があり、その方法それぞれが仏教各派各宗の特徴になっているのではないかという私見を披瀝しました。密教的な、種(煩悩)を焼き尽くすという思想、阿弥陀仏にすがって「苦」の因果から逃れようとする浄土教各宗、深い瞑想から「種」を見つけて「苦」の原因を突き詰める禅宗・・・というような感じです。もちろん私の勝手でおおまかな理解から区分した私見ですので、細かいツッコミは置いておきます。そんなような話をしていたら時間がやってきました。


 昼からは、若い夫婦が2組いらっしゃる檀家さんの御宅。子供たちの騒々しさといったらありません。先代の住職(祖父)だったら怒鳴って叱りつけてただろうな、と思いつつできるだけ気にせず読経に励みました。集中できないからあんまり功徳はないと思うのですが、まあそんなこと考えても仕方ないですね。僕が決めることではなく、仏様がお決めになることですから。


 夜は家庭教師。化学の続き。中和滴定。最近の高校生は全く教科書を読まない。授業は教師の自作プリントを使うから教科書は使わない、とか言うのですが、非常にもったいない話です。教科書の作りを舐めてはいけません。君が思っている以上に教科書は役に立つんだぞ、と言って、わからないとか言っていた部分を繰り返し読ませました。ほら見なさい。ちゃんとわかったでしょ。すっきりした顔で帰っていきました。ハードな1日はこれでおしまい。



2009年5月9日土曜日

褒められるとやはり元気になるものです

朝 月参り2件、法事1件


昼 月参り2件


夕 月参り1件、ジム


 忙しい土曜日。住職は東京に行っちゃったので一人で回るしかありません。場所もあちこちに点在しているので移動距離もバカにならず、件数以上にしんどい1日でした。


 法事でのお話は、瞑想・呼吸法について。日ごろ、イライラしたり、誰かに口汚くあたってしまったりというのは誰にでもあることですが、そこを堪えて深い呼吸をしてみましょうという話から始めて、実際に僕が日常やっている呼吸法の具体的な方法や、効能についての個人的な感想を交えて、実演します。さらに、実は今の法要中も呼吸を意識しながらお経読んでたのですよ、気付きましたか?みたいなお話も混ぜます。皆さんけっこう食いつきも良くて、いい法話ができたと思います。


 夕方の月参りでは、「お経が上手になられましたね。吸い込まれそうになりました。」と褒めていただきました。かれこれ5年間この御宅に出入りさせていただいており、僕の仏道修行をクロニカルに記憶しておられます方から頂戴したお言葉でしたので、正直に嬉しかったです。良い仲間に知り合えて切磋琢磨できていること、その環境をいただけたことに感謝していること、檀家さんに満足していただくことが何よりも嬉しいことなど、いろんなお話をさせていただきました。坊主冥利に尽きますね。ありがたいことです。


 夜は疲れている体にさらに鞭を打つべくジムで筋トレ。今日行っておかないと木曜日まで行けないので(無理したら水曜日も行けるかもしれませんが)間が空いてしまわないように強行しました。1時間筋トレ、20分ランニング。ヘトヘトで就寝。



2009年5月8日金曜日

大掃除の1日

朝 月参り2件


昼・夕 休み(部屋の掃除)


 嵐の前の静けさか、今日は朝のお参りのみ。明日からがベラボーに忙しくなります。


 雨っぽい天気が続きっぱなしだったので、好機と思い大掃除を断行しました。お坊さんは1に掃除と言われるぐらい掃除が大事な行なのですが、忙しさにかまけてなかなか継続的な掃除ができていません。大いに反省するところであります。それはともかく、今日は時間がたっぷりあるということで、机の上を極力綺麗に整理してみました。


 やっぱりキレイな机はいいものですね。汚れてきたらまとめてドカッと掃除!というクセはなかなか治りそうにありませんが(治そうという努力がそもそも足りません・・・)これでまた心機一転がんばれるというものです。



2009年5月7日木曜日

着々とランニングな1日

朝 月参り3件


昼 ジム(ランニングのみ)


夕 月参り1件


 ほぼ1日中雨だったので、ジムに行きました。ここなら天気を気にせず運動できます。ただし、筋トレしてから中1日ですので筋肉痛がとれておらずランニングのみのメニューにしました。


 10km走ったところで切りも良いのでストップ。後はサウナに入って、帰ってすぐにお参りに。


 夜は残務整理。明日から住職が東京に遊びに・・・否、勉強しに行くので、法事の準備とかをやっておきます。今週も土日は忙しくなりそうです。



2009年5月6日水曜日

個人の生き方と家族の関わり方 その2

5/6(水曜日)


朝 月参り3件、納骨、百か日・納骨


昼 満中陰・納骨


夕 月参り1件


 連休最後の日はハードでした。お葬式が入ったので、住職が行くはずだったお参りを全部引き受けました。誠心誠意で法要を修めますので、さすがに1日中ぶっ通しのスケジュールでは疲れ方が普通ではないです。最後のお参りが終わってから20分昼寝(夕寝?)しました。


 前回のつづき。


 前回のお話は、原理的、抽象的にまとめると「他人の人生に関わっていく生き方として最適な解はあるや否や」というものでした。住職は、子供であっても家族であっても他人に自分の意見を押し付けてはいけないと言い、僕は、子供や家族にはもっと「おせっかい」を通して(自分が責任を負うことで)人生に関わっていくべきだと言いました。今日はその続き。


 お坊さんが例えば檀家さんからアドバイスを求められた時の態度として、こちらがお坊さんだから相談されているのだということが明らかな場合は、それに答えていかねばなりません。世間の目線からは見えない真理を探究するのが宗教家ですから、その人の生き方を変えてしまうような一言を言ってあげる(こっちにそのつもりはなくても結果的にそうなるものです)のも、お坊さんとして求められている場合があるのです。ここでもアドバイスの引き受け責任が生じます。とはいえ、その重さは、自分の子供や家族の比ではありません。この重圧感を考えてしまうと尻込みしてしまうのも確かでして、人生経験が少なすぎる僕にはまだまだ修業が必要です。人生経験豊かな住職には是非もっと他人の人生を変えてしまう責任を引き受けていただきたい、そういう気持ちが高じて議論になったのでした。


 ただし、出家の立場として取るべき距離感は常に測っていかないといけないと思います。近すぎず遠すぎず。いつも「この距離」というわけでなく、相手によって変化する距離感、というのが難しいのです。安請け合いは逆に無責任になったりもします。


 結局のところ、結論が出るような話ではありません。僕が住職になったときに、今僕が求めたような引き受け責任を取れる自信はまだありませんし、偉そうなことを言う割には実践できていないという情けない自分がまたそこにあるわけです。まだまだ険しい修業は続きます・・・



個人の生き方と家族の関わり方

5/5(火曜日)


朝 月参り2件、満中陰


昼 ジム


夕 家庭教師


 またちょっと空いてしまったジム通いを再開。フルコースでへとへと。家庭教師は前回の続きで化学と英語。


 夜、住職と「個人の生き方と家族の関わり方」について議論になりました。住職としては、子供にせよ大人にせよ、個人の人生を決定づけるのは自分自身であるべきだという考えです。自分の意見を(嫌がっているのに)押し付けて他人の人生を変えてしまうのはよくない、と。また、困っている人の話を聞いていろいろアドバイスをするときも、良い方向に向かって欲しいとは思っても、その人にとっては他人である自分の意見を押し付けるべきではないという考え方です。


 僕の意見も大筋では同じですが、それは赤の他人に対してであり、かつ自分が一般人(在家)であるときに望まれる生き方であって、自分の子供や家族に対してそんな関わり方でいいのか、また出家としてそういう立場で良いのかという点で疑問がありました。


 僕自身、結婚もしておらず子育てについて云々するのは非常におこがましいということは重々承知の上で述べますが、子育てはやはり親の責任事項だと思います。子供が自分がやりたいように育てて(放任して)うまくいくのは理想です。でも、子供の低い目線では見えていない物でさえ、見えている(べき)者が大人ですから、子供がやってはいけないことをやりそうな時、またやるべき時にやらないでいる時など、親は大人として積極的に子供の人生に介入すべきだと思うのです。それを放ったらかしにしてしまうのが育児放棄であり、また、何でもかんでも悪いことは全部学校の先生の責任に転嫁してしまうバカ親になるのです。オレは自由に育ててるのに学校の先生が変なことを吹き込むから息子がグレたんだとか、お金を払っているんだから保育園でしっかりしつけてよとか。大人がとる態度ではないことは明らかです(大人が「大人」であるための努力が必要ということでもあります)。


 相手が子供でなくても、家族の一員であれば、ある程度の「おせっかい」は必要だと思います。それをして良いのは家族だからでしょう。そうやって「おせっかい」をすると、当然ながら自分の方にも責任が生じます。それを自分が引き受けていけるというのも家族だからなんです(他人への「おせっかい」責任を引き受けるのは勇気がいりますよ)。放任主義が往々にして無責任と同義になるのは、原理的に、責任の引き受け手のことを明示しないからです。放任した結果責任は全部自分が引き受ける、という態度を公言して初めて、放任主義は意味を持つ、と言い換えてもいいでしょう。でも、たいていの人はそんなことしません。いや、できませんよ。無限責任ですから。だから、褒める時も叱る時も、責任を負うことを恐れてはいけないんです。家族なんですから。


 ・・・ちょっと長くなってしまいました。続きは次回に。



2009年5月4日月曜日

旅行顛末記(超簡略版)

5/3(日曜日)


朝 月参り4件


昼 泉南へ旅行(1泊)


 梅田で食事後、JRの関空快速に飛び乗って、りんくうタウンへ。アウトレットモールで3時間。あ〜しんど。


 僕の目当てはジムで着るインナーウェア。アンダーアーマーが出店していたので、ラッキー!と思い、数点を確保。いやぁ安いですね ^^ しんどいのも元はとれました。さらにはアディダスで欲しかったインナーをゲット!これは先日、近所のスポーツデポで6千円ほどしていたもの。それが3千円ほどで買えるなんて・・・まあ、アウトレットですから、どこかに問題があるんでしょうけど、パッと見た段階では全く問題なし。使っていたら解るのかもしれませんが、まあ今の段階では良し!でしょう。


 駅前のワシントンホテルに宿泊。前日予約だというのによく空いていたものです。


5/4(月曜日)


朝 朝食後、犬鳴山温泉


昼 不動尊を拝み終わってから下山、遅い昼食後、梅田の餃子スタジアム


 終日旅行。犬鳴山は母の実家(泉佐野市)の近くで、小さい時によく連れていってもらっていたお山。不動尊をお祀りしていたのは今回行って初めて知りました(しかもかなり歴史の古い由緒正しいお山でした)。一通り山の中を歩き回って、不動口館で温泉に浸かったらもう2時。あちこちお参りしていたら時間が経つのを忘れますが、ふと気がつくと浦島太郎になっています。お山ってそういう魅力があるんですね。


 大阪でいろんな種類の餃子をほおばって家路に。今回も楽しい旅でした!



2009年5月2日土曜日

『一個人』6月号で仏像特集!買いました!

朝 月参り3件


昼 休み


夕 家庭教師


 法事は1件ありましたが住職が対応しました。 連休の割には忙しくない1日。朝のお参りは近所ばっかりだったので早めに上がり、天気も良かったので早歩きで散歩してきました(まとまった時間がとれればジムで走りたいところでしたが)。iPod nano(2世代前の細長いヤツ)に詰め込んだPodcastを聞きながらでしたので、途中ニヤニヤしたり笑ったり、道行く人たちからはおそらくヤバい若者に見えたことと思います。でもまあ、天気が良いのはそんな小さなことはどうでもよくなるのです。


 さて、明日も午前中に数件仕事が入っているだけなので、急遽、旅行に行くことに決めました。行き先は大阪の泉南、犬鳴山。宿はさすがにGWだし、前日ということもあって満員。関空の近所にワシントンホテルを見つけたので、そこに行くことに。でも、通常料金のコースしか空いてない・・・高いなあ。


 夕方、家庭教師。今日の化学は散と塩基。まだ高校2年生の簡単な分野だから、前準備なしでも十分対応できます。これが受験対策とかになってくるとこうは行きません。かなり準備がいりますね。化学の後は英語。リーダー中心。


 終わってからコンビニで雑誌を買いました。『一個人』の6月号(リンク先はまだ5月号)で、特集タイトルは「仏像入門」。ちょっと前には『BRUTUS』でもやってたよな・・・と思いつつ、保存版として購入。これであちこちのお寺に行った気になれます・・・



2009年5月1日金曜日

『無功徳』(玄侑宗久、海竜社/2008)

朝 休み


昼 写経会


夕 休み


毎月1日は写経会を本堂でやっています。1時間で般若心経を書いていただき、仏前に納経して、お話をします。いつもは住職がさせてもらいますが、旅行中のため僕がピンチヒッターでさせてもらいました。


話のお題は、玄侑宗久さんのご著書『無功徳』(海竜社/2008)から、丸暗記の効能について。仏道の修業において目指すところは「私」からの解放である、とするならば、お経を丸暗記して何度も繰り返し唱えることはかなり優れた修業である、という話。暗記したお経を読むのに、考え事をしながらというのはかなり難しいです(できないわけではないが確実性に欠けます)。ということは、しっかり思い出しながらお経を唱えることで余計な考え事(「私」の作用)をすることがなくなるというわけであり、難しい瞑想を続けるのと同じような効果が見込めるということです。なるほど。


こういう話は檀家さんにも説明しやすくてよいですね。もちろん、お坊さん向けになると宗派によっては読経の作法が異なりますので、伝え方を変えないといけません。漢字を読むのではお釈迦さまの本当の言葉が通じないからインドの言葉のまま読めとか、間違えてはいけないから経本を奉持(ぶじ)してしっかり読めとか、意味がわからないとありがたくないから日本語書き下しで読めとか、まあいろいろ伝統教団は言うわけです。でも、「私」を離すのが目的であるという原点に戻るのなら、どれもバッテンなのですね。言語の種類は関係ないし、目で読んじゃうといろいろ考え事もできますし、書き下しだと意味を考えてしまいます。これでは「私」から離れられません。却ってお経の意味なんてわからなくても平気っていうおばあちゃんの方が和尚さんよりも悟りに近いとすら言えるわけです。何事もきっちり決められた通りやる方が優れているというわけではないんですね。諸行無常なんですから、枝葉末節の部分は刻々と変わって当然です。仏道修行って時々こういうようなイタズラが顔を出すようで、本当に難しいなあ。


本書はこの他にも紹介したいことが山ほどあります。また時間があればアップしてみます。