ラベル 説法 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 説法 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2009年9月18日金曜日

向上心で「慢」をやっつける

 向上心あふれる仲間の存在が、至らぬ私の思い上がりを戒める。仲間って本当にありがたいものです。

 お坊さんは一国一城の主で、回りからも「先生、先生」と持ち上げられる存在なので、よほど自分を制することができる人間でない限り思い上がりの人生を歩み始めます。若いとなおさらでしょう。僕は絶対にそうなりたくないので、常日ごろから「立派だなあと尊敬できる方」との交流を心掛けています。今回、本山知恩院で泊まり込みの研修がありまして、向上心でいっぱいの先輩僧の方々にお会いでき、「尊敬できる方」リストが大幅に更新されました。大いに結構なことであります。

 前々回のエントリでは慢心について書きましたが、「他人の実力を正しく評価できない」「自分の実力を見誤ってしまう」ことが他人との余計な比較を生んでしまい、慢心の濫觴となるということでした。自他ともに掛け値なしで評価することはお釈迦さまの説かれた「中道」に通じます。本来の(浄土教の匂いが入っていない、という意味で)仏教とは、中道の実践によって慢などの煩悩を除滅して成仏(解脱)しようというもの。浄土教的な解釈では、中道の実践なんて聖道門の最たるものであって我々凡夫が成就できるなんてありえないという前提がつくわけですが、その前提を神棚に奉って拝み倒して本質に目を向けないようになってしまうと、「そんなことする必要ない。お念仏だけで往生極楽が可能なんだから」となってしまい、修業の本旨から遠ざかってしまいます。今のカギカッコのような思いが生まれているとしたらまさしく「慢」であるということなんですからね。こういう思想に陥りがちな浄土教系宗派の僧侶は十分に思量しないといけないですね。

 難しい話になっちゃいました。「中道」を心掛けた生き方を実践するには、向上心いっぱいの仲間達の存在は欠かせないなあというのが今回の結論ということで。


↓ 出来事

9/4(金)
朝:月参り − 昼:家庭教師 − 夕:中陰
 彼岸月なのでけっこう余裕時間あり。こういう時しかできない寺務仕事をやっておこう。

9/5(土)
朝:月参り3件 − 昼:月参り、中陰 − 夕:会食
 いろんな法事があるとその度にお話も変わってきます。頭の中がこんがらがってきますが、話をすることでしている方も知識の整理ができていいですね。新たな疑問が出てきて勉強するきっかけにもなりますし。
 会食は明石のお坊さんと。前住職への退職金支給についての手続きなどをお尋ねいただきました(FPとして初めてのご依頼です)。

9/6(日)
朝:月参り2件、納骨 − 昼・夕:部屋の片づけ
 あまり忙しくなかった日曜日。掃除とか雑誌処分とか一気に片づけました。

9/7(月)
朝:月参り − 昼:ジム − 夕:本山でお稽古、習字
 加圧トレ。今日はマシンではなくバーベルやダンベルを使ったトレーニング。これがまた無茶苦茶キツイ。そんなにムキムキにしてくれとは頼んでいないのに、トレーナーは体脂肪率16%という数字を高く見ているようで(数字では普通体形なんだけど)しっかり筋肉をつけていきましょうとのこと。走れないぐらいヘトヘト。20分歩いてストレッチしてお風呂にザブンと入り、すぐに京都へ。本山でのお稽古もいよいよ後半戦がスタート。
 習字の後、いつもは帰っちゃっていないはずのK氏(←プロの二胡奏者)と合流して食事。なるほど、帰らない理由がわかりました。そういうことかあ。

9/8(火)
朝:月参り2件 − 昼〜:デート
 こうやって堂々と「デート」なんて書くのは恥ずかしいけど、ま、隠さないといけないことでもないし。良い話があったら必ず報告しますから、待っててくださいね、関係者各位。

9/9(水)〜11(金)
全日:本山の宿泊研修会に参加
 法然上人の800年大遠忌法要の作法を習得するために研修会に参加。中身濃かったなあ。まだまだ修練が足りないなあと反省しきりです。

9/12(土)
朝:月参り、寺務作業 − 昼〜:月参り、彼岸予定組み
 彼岸参りの予定組みに着手しましたが、お盆ほどの量はないので半日で完成。あとはいろいろペンディングしていた寺務作業を一気に片づける1日。

9/13(日)
朝:月参り、法事 − 昼:法事、月参り、墓開眼 − 夕:部屋でゆったり
 多忙な日曜日を象徴するような1日。法事はたくさんの方がお寺に参られました。お経も作法も説法も張りきって奉仕いたしました!

2009年7月21日火曜日

お盆とは何だ? その2

 前エントリでお盆のお話を書きました。今日はその続き。


 本来(?)のお盆は「お坊さんを供養して」修業の功徳を先祖に回向するというものだということは前回書きました。とはいえ、最近は梅雨時だからといってお堂にこもって修業三昧のお坊さんというのは極めて少ないと思いますので、梅雨明けにその功徳をもらおうと思っても、そんなに素晴らしい功徳を積んだお坊さんが見当たらないのが普通です。じゃあ、どうするのよ?ということで考え出されたのが「棚経」(たなぎょう)です。


 この「棚経」はお盆の中身とは無関係です。お坊さんを供養するわけじゃないですから。実は「施餓鬼」のミニバージョンなのであります。「施餓鬼」は字のごとく、餓鬼に施しをすることで「檀家さん自身が」功徳を積んでもらい、それを先祖供養のために回向する法要です。「施餓鬼会」という法要はだいたいお寺の本堂で適切な装飾を施した環境で執り行われるのですが、それを各家の仏壇(仏棚)でやるのが「棚経」というわけです(仏壇はお寺のお堂のミニチュアです)。


 ややこしい話になってしまうには理由があります。「盂蘭盆」(お盆)は旧暦7/15に実施することになっていますが、物語の中に餓鬼が出てきます(目蓮尊者のお母さんが餓鬼道に落ちてしまったのでした)。この餓鬼が「施餓鬼」の餓鬼と混同されたわけですね。「施餓鬼」は別にいつやってもかまわないのですが。これが混同されたまま「お盆の時期に施餓鬼(棚経)をする」ということで現代に落ちついたようです。


 いつになく語ってしまいました。また仏教的な行事が近づいてきましたらいろいろと説明をさせていただきたいと思います。


7/17(金)


朝:月参り5件 − 昼:月参り − 夕:お盆参りの準備


 引き続きお盆の予定組み。頭を精いっぱい使う作業なので、2時間集中するだけでもしんどいです。ま、Podcast聴きながら楽しくやっているわけですけれども。


7/18(土)


朝:月参り2件 − 昼:お盆参りの準備 − 夕:神戸浄青


 予定表(素案)完成!これから怒濤の電話攻勢が始まります・・・。夕方は神戸浄青へ参加。勉強会の中身は法然上人の四十八巻伝(勅伝)の輪読ですが、ちょうど後白河法皇がお隠れになる直前の名場面でした。



7/19(日)


朝:月参り2件、法事 − 昼:ジム − 夕:部屋の片づけ


 久々のジム。なんとか今週も週2回のジム時間を確保できました。お盆に入ると行けなくなりますので今のうちにしっかり行っておきたいですね。


 お婆ちゃんが入院中なのですが、病状が思わしくないようです。



7/20(月)


朝:月参り4件 − 昼:庭掃除 − 夕:テレビ見たり瞑想したり


 2時間ぐらいかけて庭のお掃除を敢行しました。晴れてもいず、雨でもなく、ちょうどよい気候。



7/21(火)終日お休み


 3ヵ月に1度ぐらい訪れる、まる一日のお休み。お盆の準備もできたのでやることもなく、今月3度目の断食を敢行しました。頭は全く冴えませんでしたが、のんびりできたのでまあ良しとしましょう。



2009年7月17日金曜日

お盆とは何だ?

 お盆が近づいてきました。本山で習ったとおりのことを言えば、「お盆」とは盂蘭盆(うらぼん)のことで、もともとは「逆さまにつるされたような苦しみ」という意味の言葉です。目蓮尊者(お釈迦様の十大弟子のお一人)のお母様が餓鬼道に落ちてしまって、そういう苦しみを抱えていらっしゃるのを救うために、「お坊さんを供養して(接待する?)」修業の功徳を回向していただくというのが本来です。インドでは雨期には托鉢に出れませんから、お坊さんたちは僧堂で修業に励んでいるわけで、梅雨があけた7/15にお坊さんに頼みごとをしたら何でも叶うぐらいの功徳がそなわっている、と考えたわけですね。その7/15は旧暦でカウントしますので、新暦ではだいたい8月になり、関西では8月にお盆参りをすることになります(関東は7月なんですよね。そのままの暦を採用したからなのかなあ)。


 ただし!お気付きの通り、本来(?)のお盆は「お坊さんを供養して」修業の功徳を先祖に回向するというものなのです。今みたいにお坊さんがあちこちの家の仏壇に出向いていってお経を読むというのは、厳密に言うと「お盆」ではないんですね。じゃあ何なのよ?ってことになりますが、続きはまた次回ということで。




7/13(月)


朝:月参り4件 − 昼:中陰・仏壇開眼 − 夕:本山でお稽古・習字


 慌ただしい1日。電車に乗っている時だけがゆっくりできるってぐらい忙しい1日でした。習字はいよいよ行書へ。上達しているのが一目瞭然なので俄然やる気が湧いてきます。



7/14(火)


朝:月参り2件、満中陰 − 昼:ジム − 夕:お盆参りの準備



 お盆の準備に時間がかかるので、行ける時に行っておこうという判断からジムに行ってきました。


7/15(水)


朝:月参り3件 − 昼:車で移動 − 夕:祇園祭宵宵山


 生まれて初めて祇園祭をこの目で見ました。人酔いしちゃうぐらいのすんごい人だかり。適当にブラブラ歩いてお店でお茶して、出店でたこ焼きを突っついて帰ってきました。面白かったんだけど、やっぱりあの人だかりは苦手だなあ。



7/16(木)


朝:月参り3件、法事 − 昼:月参り − 夕:お盆参りの準備


 お盆参りの予定表作成に着手しました。毎年やっていることとはいえ、例年だんだん大変になってきます。今日は住職が整備した生データから檀家カードを作り(地域ごとに色を変えています。これらを日付ごとに並び替えるわけです)希望日時を付箋に書いて貼り付けていきました。明日からはいよいよカードの並び替え作業です。



2009年7月10日金曜日

教化に公権力を持ち込むことの欺瞞

 ちょっと以前にウチのお寺に○○の科学の人がやってきて、選挙のポスターっぽいものを持ってきました。僕自身は宗教家が政治を目指すということにかなり抵抗がありますし、そもそもウチは仏教寺院なわけで、正直なところ迷惑千万でした。


 政治に興味を持つというのと為政者を目指すというのは全く別のベクトルです。自分の一票がどのように活かされるのかを見ていくのは民主主義における国民の努めですが(宗教家であっても日本国の国民ですから)、主義主張に排他性を伴いかねない特定宗教家が他人様の人生を公権力をもって軽々しくコントロールしてはならないのです。信者さんは別ですよ。コントロールされたくて集まってきているわけですので。ま、○○の科学が今現在において排他的だというわけではないですが、平和を説いている割に北朝鮮をどうにかしろとか憲法を変えろとかラディカルなことを言っているわけで、その目は十分にあるわけです。


 宗教家は人に法を説いて導くのが仕事です。また説くだけではなく、それを率先して実践して結果を見せることで実証していかねばなりません。いくら正しい(とされる)ことを言ってても、その宗教家自身の生活が破綻しているのであれば誰も言うことを聞きません。実践行をやってみようとも思わないでしょう。あくまでも自分の人格と信念・信仰だけでやりとげて結果を見せていかねばならないわけです。そこに公権力を持ち込むことの欺瞞を見抜かないといけません。無理やりに自分たちの教えを法制化して言うことを聞かせるというやり方は宗教の王道を踏み外しています。そもそも先の大戦の遠因に国家神道の影響があったことをかの宗教団体はちゃんと理解しているのでしょうか。


 ま、こんなこと書いていると選挙妨害だとか言われそうなのでもう書きませんが、特定宗教をベースにした政党による政治に慣れきってしまっていて、国民も感覚がマヒしているのでしょう。とりあえず僕はまだ毒されていませんよ、と宣言しておきます。




7/6(月)


朝:月参り3件 − 昼:本屋で立ち読み − 夕:本山でお稽古



 家庭教師が延期になったので時間が空いてしまい、最近行ってなかった本屋さんでしばらく立ち読みしました(ちゃんと欲しい本は買いましたよ!)。最近は僕が興味を持っている分野の本、例えば金融、経済、仏教などの新刊本で、興味を引くものが少なくなりました。何冊か買って読んでみても、主張のオチが読めるものばかりなので、「どうしても読まないといけない本」に出会う確率が低くなっています。僕自身の読書能力が向上したとは思えませんので(週に2冊読むのがやっとですので)これはどういうわけなのか・・・。


 今日は習字教室はお休みでしたので、お稽古メンバーと暑気払い。祇園は祇園でも気軽に行ける居酒屋。




7/7(火)


朝:月参り3件、中陰 − 昼:家庭教師 − 夕:七夕祭り@天理



 家庭教師の高校生は明日で試験終了とのこと。知恩院お稽古メンバーのお寺@天理で七夕祭り(地元の弁天祭り)があり、二胡などの中国楽器アンサンブルを披露していただけるとのことで行ってきました(僕が写真に写ってる・・・)。ステキですねえ。芸能の神様、弁天さんのお祭りに合わせて音楽会を開かれるとは素晴らしい試み&布教活動です。大変勉強になりました。



7/8(水)


終日:デート@大阪


 manatsuno.jpeg 映画『真夏のオリオン』を鑑賞。フィクションとはいえ、潜水艦での任務の厳しさを初めて目の当たりにしました。ストーリーは比較的予想しやすい展開で進み、「やっぱりね」という結末を迎えましたので、何らかのサプライズに期待していた方にとっては肩透かしだったのかもしれません。しかし、ベタベタな展開に落ち着かせたのは、監督が伝えたかった部分をより鮮明にさせたかったからなのかもしれません。水兵さんの過激な任務、中でも海で沈没して亡くなるということへのイマジネーションの喚起についてはあらためて身震いさせられました。酸素がどんどんなくなっていく。水圧が船内をもむしばむ。わずかな金属音での通信さえもレーダーに捕獲されて危地に陥る。なんという恐ろしい世界があったのだろうか。僕にはとても耐えられません。人間魚雷(回天)という非人道的武器を巡る人間模様にも感じ入りました。お国のために一命を賭すのだという若者を艦長は「もったいない」と諭すのです。多くを語って説得してわからせるという方法を採らず、態度と威厳と最低限の言葉で確信を伝える。惚れてしまいますね。お勧め映画です。



2009年6月12日金曜日

地味な情報収集は実を結ぶか?

6/11(木)


朝:月参り4件 − 昼:ペンディング処理 − 夕:部屋でゆったり


 このところ忙しくて後回しにしていたタスク(「仕事」とは言えないぐらいのささいなこと)に一気にとりかかりました。主にネット情報を読み込んで分析し、「これは!」と思う意見はストックしておくという地味な作業のことです。ネット情報に求められるのは、速報性と独創性、共振性であり、内容の細かな部分の正確さは二の次です(捏造は問題外ですが)。翌日の新聞で記事を読むという段階ではもう既にその情報は陳腐化しています。また大手メディアは政府や財界の圧力で偏向したり、伝えなかったりしたりすることがあるのが宿命です。そんな情報をいくら読み込んでも共振できるような意見は生まれません(公開情報を読み込むのはインテリジェンスの「いろはのい」であることは理解していますが、僕はインテリジェンス能力を必要とする職業には就いていません)。やはりネット情報は欠かせないわけです。


 どうしてこんなことを続けているのか?と言いますと、結論から言うと、自分の意見・人生の軸となるものを築きあげていくためです。政府など他人によって正しいとされた情報だけで人生を生ききるのは危険です。戦前の例が一番わかりやすいでしょう。清濁いろんな情報に触れて、その真贋や善悪を断じ、「見る目」を養っていくのです。時には手痛い失敗もします。でも失敗からも学べるのです。こうやって自分の人生哲学を磨き上げていくわけです。


 えらそうなことを書いてきましたが、要するに自分の頭で考えて行動するというのが僕が考える「日本男児」の姿なワケでして、そういう姿に一歩でも二歩でも近づきたいなあと思った次第であります。



2009年6月11日木曜日

梅雨が来れば思い出す、安居のお話

6/10(水)


朝:月参り2件 − 昼:月参り1件 − 夕:友人と会食


 小・中学と同級生だった女子のお宅に月参り。弟同士が仲が良かったこともあって、昔からご両親とはよくお話をさせていただいてました。ご主人は僕と同じジムに通ってらっしゃって(週に6日!)話は尽きず、いつも長居してしまいます。


 次の御宅では「安居(あんご)」のお話。インドでは雨期(日本の梅雨)にお坊さんは僧堂に籠って修行に励んでいたのですが、その期間を「安居」と言います。旧暦7/15にこれが空けて僧堂から出てきたお坊さんはさぞかし功徳が多かろう、あやかりましょう、として始まったのが、いわゆるお盆です(かなりくだけた書き方をしています。本当の盂蘭盆は餓鬼が出てくる大変なお話です)。そんな話をつらつらとしていたらお昼になりました。


 夜は友人と三宮で会食。男2人で食べるスパゲッティーもなかなか美味しかったです。



2009年5月24日日曜日

「和」の精神で再就職もうまくいきます

5/24(日)


朝 月参り2件、法事


昼 法事


夕 ジム


 法事2件。弟の就職がうまくいった話を失敗談も含めてお話しました。お釈迦様がお説きになった教えの中で大事なことの1つに「和」があります、という話。具体的には、自分の実力をアピールして売り込む面接ではなかなかうまくいかなかったけど、「僕がこの会社に入ったら皆が働きやすいムードを作って見せます!」「気持ちの良い職場作りのために経験や資格を活かします!」という「和の精神」を前面に出すことで、面接官の目を引くことができた、というお話。今の時代、「オレがオレが!」のタイプよりも、皆と協調して大きな仕事をやりとげようというタイプの方が受けがいいようです。


 夕方からはひさしぶりのジム。フルコースで乳酸がたっぷり溜まり、帰宅後すぐにバタンキュー。



2009年5月17日日曜日

仏教的に考えることの一例としてのインフルエンザ問題考察

朝 月参り3件、法事


昼 法事2件、仏壇魂抜き


夕 家庭教師


 ご覧の通り、毎週日曜日は超ハードなスケジュールです。若いからいいものの、こんなスケジュールが続くとどうしても身も心も病んでしまいそうです(変わったお坊さんが多いのもそのせいなのかも)。たまには気分のリフレッシュが必要ですね。ちなみに僕の場合は、毎週月曜日の本山(京都)での研修会&習字の機会が貴重なリフレッシュタイムです。


 法事が3件あったわけですが、1件目は百か日。別名「卒哭忌(そっこくき)」とも言われ、仏教オリジナルではなく儒教的なお弔いの法要です、というお決まりのお話の後、「縁」のお話をしてみました。ちょうどインフルエンザが流行っているこのタイミングで、発病する人としない人にはどんな差があると思われますか?という問い掛けから、僕はお釈迦さまの教えに従って考えるならば「発病するためにはそれに必要な何らかの原因となる要素、とりわけ日ごろ抱いている悪い感情が起因しているのではないか」という私論を展開しました。不景気で町中の大多数が将来を悲観したり不安感で一杯である時に決まっておかしな病気が流行るので(歴史がそれを証明しています)、「がっかりしたり」「悲観したり」「気持ちが腐ったり」という「因縁」が発病という形で「結縁」している、というわけです。仏教的に考えるというのはこういうことなんですよ、正しいかどうかはまだわかりませんが、なんていう話でした。


 2件目は満中陰。位牌と仏壇にお魂を入れました。決まってお魂の話をします。以前ここでも書きましたね。それから、故人の供養についてお坊さんができることは限られていますから、ご家族や親戚が主体となって供養を続けてくださいね、といつものお話。他人であるお坊さんができることは、遺族の皆様方が供養の気持ちを向けやすくなるように環境を整えるお手伝いすることぐらいなのです(一般の方では難しく、重要なことではありますが)。


 3件目は中陰四七日。ものすごく丁寧な御宅で、こちらが恐縮してしまうぐらいの対応をいただきました。


 ふー。疲れた・・・しっかり休んで明日からに備えます!



2009年5月16日土曜日

お地蔵さんを仏壇に入れても良いか?

朝 月参り2件


昼 月参り2件、法事


夕 家庭教師2件


 やっぱり土日はハードな1日になります。そもそも仕事だけでも大変なのに、家庭教師(ボランティア)を入れてしまうところに無理があります・・・。でもまあ、必要とされている間は僕も喜んでお人様のために尽くしたいと思います。


 月参り先の奥様で市立病院の元看護婦(師)長だった方がいらっしゃいまして、この度の神戸市の高校生が新型インフルエンザにかかってしまったことについて様々な意見を交わしました。もはやフェーズ6は避けられないんじゃないだろうかとのお話でしたが、ヒト−ヒト感染が明らかになった以上はそうした措置がとられて然るべきなのでしょう。映画『感染列島』のパニック映像がプレイバックしてきました。


 他の家で、水子供養のためのお地蔵さんを家の中でお祀りしている方がおられまして、この度、仏壇の中で本尊様(阿弥陀如来)と一緒にお祀りしても良いのかどうかとの質問をいただきました。仏壇はいわばお寺の本堂の代わりです。ウチのお寺の本堂には本尊様の他にも、地蔵菩薩や毘沙門天、弁財天、弘法大師などの御尊像をお祀りしてありますので(もちろん安置場所は適宜変えてあります)、「全く問題ないですよ」とお答えしておきました。日本人の宗教観というのは非常にフレキシブルでステキです。


 法事でいただいた質問も実に考えどころのあるものでした。お盆についての質問でしたが、これはまた別の日に書きます。


 家庭教師。英語の不得意な高校生に去年からひたすら教科書の音読をさせていましたら、1年で見違えるほどの上達を示しました。去年から発音記号の読み方、アクセント、文節の区切り方など、音読に必要とされる基本的なスキルを伝授して、間違えたら何度も何度もやりなおしをさせて、正しい英語の発音を定着させてきました。最初はこれで本当にうまくいくのかどうか本人も半信半疑だったみたいですが、1年経過して自分の明らかな成長にやっぱり驚いているようで、いろいろと感謝の言葉をいただきました。よく投げ出さずに続けられた結果が出てきました。教え子の成長はわが事のように嬉しいものですね。家庭教師やってて良かったなあ。


 さて明日も忙しくなりそうです。がんばろう!



2009年5月15日金曜日

中間試験前の家庭教師4時間!やっぱりしんどいです・・・

朝 月参り5件



昼 家庭教師(高校生)



夕 部屋でゆったり



 朝から月参りをぶっ通し。それぞれの家で様々な交流体験をさせていただき、本当に感謝いたします。中でも印象的だったのは、この4月から中学校に通っている男の子を持つお母さんとのお話で、小さい男の子が身近で育っていくのをご自身の経験として見たことがないので、我が子がどのように育っていくのか不安だという内容でした。僕は独身なので偉そうに言えないですがという前置きはさておき、やっぱり鍵を握るのはお父さんの存在ではないでしょうか、という話をしてみました。学校であったことや進路の相談など、頼れるお父さんの存在は大きいものです。とはいえ、なかなか最初から父親に話しかけにくい年ごろでもありますので、お父さんの方からいろいろ話しかけてみると良いのではないかとアドバイスしてみました。



 昼から4時間の家庭教師。中間試験前だから駆け込みで集中講座。英語は単語から構文から動詞の基本的な活用からほとんど復習不足で、こりゃあ赤点だなっていうレベルの女の子でした。やっぱり基礎学力がないと時間をいくらかけても吸収が遅いです。もうちょっと時間があったらなあ。



 といいつつ、途中の休憩時間では「人生って何ですか?」「本当にキレイなものってあると思いますか?」というような哲学的な質問をいただき、日ごろ考えていることを高校生に分かりやすく説きました。僕は、自分の持っているいろいろな知識や経験で困っている人を助けてあげられてその人から「ありがとう」と言ってもらうのが何よりも嬉しいんだ、それが僕の人生だ、と回答しました。この思いは銀行員だったころから全く変わっていません。本当にキレイなものというのは難しい概念ですが、僕は「生命」だと回答しました。ただ、純粋な仏教の考え方ではないので、他のお坊さんが見ると怒られるかもしれませんね。



 最近の高校生もいろんな悩みがあるんだなあと実感しました。僕が高校生の頃なんてそんな高尚な疑問を抱いたことなんてなかったですからね・・・。でも若いうちからいろいろ悩んで、「回答なんて一つしかないわけではないんだ」という悟りを得ることができれば、こんなことにはならなかったのかもしれませんけど・・・







自殺  30代で過去最多 19歳以下11%増(東京新聞 2009年5月14日 夕刊)

***********(引用開始)***********






〇八年の自殺者数は前年に比べ八百四十四人(2・6%)減ったが、十一年連続で三万人を超えている。二十代は三千四百三十八人(3・9%増)、十九歳以下は六百十一人(11・5%増)で、若年層の増加が目立つ。  遺書や関係者の話などから、原因・動機が判明したのは二万三千四百九十人(72・8%)。複数の原因・動機がある場合は三つまで計上している。最も多かったのが「うつ病」で六千四百九十人。次いで「身体の病気」五千百二十八人、「多重債務」一千七百三十三人と続く。「就業失敗」や「失業」「生活苦」が増えており、景気悪化が影響していることをうかがわせる。

***********(引用終了)***********




2009年5月10日日曜日

密度の濃い1日。説法から家庭教師まで盛りだくさん

朝 法事2件


昼 法事、月参り1件


夕 月参り1件、家庭教師


 法事3件はかなりぐったりします。2件までは完全なる腹式呼吸の影響で心地よい疲れなのですが、3件目になるとお腹の力が緩んでくるようで、知らず知らず咽に力が入って強引に声を出してしまっています。まだまだ腹筋を鍛え足りないようです。


 法事では弟の再就職に際して家族でとりくんだことを引き合いに、家族として関わっていくことの大切さをお話しました。先日書いた私見 をかみくだいたものです。奥で聞いていたお婆ちゃんが喜んで聞いてくれていました。


 次の家では、「悩みの種」のお話。仏教の根幹に関わる大事な話です。簡単に書いておくと(また時間がある時に詳細を書きたいと思います)、お釈迦さまがお説きになった宇宙の根本原則として「縁起」がありますが(因果律みたいな概念です)、身の回りで起こっていることは総て原因となる「種」が育ったものに過ぎないので、この「種」をどうにかしてしまいましょうというのが仏教の修業です、というようなお話。「種」の存在にどのように気付き、受け入れ、克服していくか様々な方法があり、その方法それぞれが仏教各派各宗の特徴になっているのではないかという私見を披瀝しました。密教的な、種(煩悩)を焼き尽くすという思想、阿弥陀仏にすがって「苦」の因果から逃れようとする浄土教各宗、深い瞑想から「種」を見つけて「苦」の原因を突き詰める禅宗・・・というような感じです。もちろん私の勝手でおおまかな理解から区分した私見ですので、細かいツッコミは置いておきます。そんなような話をしていたら時間がやってきました。


 昼からは、若い夫婦が2組いらっしゃる檀家さんの御宅。子供たちの騒々しさといったらありません。先代の住職(祖父)だったら怒鳴って叱りつけてただろうな、と思いつつできるだけ気にせず読経に励みました。集中できないからあんまり功徳はないと思うのですが、まあそんなこと考えても仕方ないですね。僕が決めることではなく、仏様がお決めになることですから。


 夜は家庭教師。化学の続き。中和滴定。最近の高校生は全く教科書を読まない。授業は教師の自作プリントを使うから教科書は使わない、とか言うのですが、非常にもったいない話です。教科書の作りを舐めてはいけません。君が思っている以上に教科書は役に立つんだぞ、と言って、わからないとか言っていた部分を繰り返し読ませました。ほら見なさい。ちゃんとわかったでしょ。すっきりした顔で帰っていきました。ハードな1日はこれでおしまい。



2009年5月9日土曜日

褒められるとやはり元気になるものです

朝 月参り2件、法事1件


昼 月参り2件


夕 月参り1件、ジム


 忙しい土曜日。住職は東京に行っちゃったので一人で回るしかありません。場所もあちこちに点在しているので移動距離もバカにならず、件数以上にしんどい1日でした。


 法事でのお話は、瞑想・呼吸法について。日ごろ、イライラしたり、誰かに口汚くあたってしまったりというのは誰にでもあることですが、そこを堪えて深い呼吸をしてみましょうという話から始めて、実際に僕が日常やっている呼吸法の具体的な方法や、効能についての個人的な感想を交えて、実演します。さらに、実は今の法要中も呼吸を意識しながらお経読んでたのですよ、気付きましたか?みたいなお話も混ぜます。皆さんけっこう食いつきも良くて、いい法話ができたと思います。


 夕方の月参りでは、「お経が上手になられましたね。吸い込まれそうになりました。」と褒めていただきました。かれこれ5年間この御宅に出入りさせていただいており、僕の仏道修行をクロニカルに記憶しておられます方から頂戴したお言葉でしたので、正直に嬉しかったです。良い仲間に知り合えて切磋琢磨できていること、その環境をいただけたことに感謝していること、檀家さんに満足していただくことが何よりも嬉しいことなど、いろんなお話をさせていただきました。坊主冥利に尽きますね。ありがたいことです。


 夜は疲れている体にさらに鞭を打つべくジムで筋トレ。今日行っておかないと木曜日まで行けないので(無理したら水曜日も行けるかもしれませんが)間が空いてしまわないように強行しました。1時間筋トレ、20分ランニング。ヘトヘトで就寝。



2009年5月6日水曜日

個人の生き方と家族の関わり方 その2

5/6(水曜日)


朝 月参り3件、納骨、百か日・納骨


昼 満中陰・納骨


夕 月参り1件


 連休最後の日はハードでした。お葬式が入ったので、住職が行くはずだったお参りを全部引き受けました。誠心誠意で法要を修めますので、さすがに1日中ぶっ通しのスケジュールでは疲れ方が普通ではないです。最後のお参りが終わってから20分昼寝(夕寝?)しました。


 前回のつづき。


 前回のお話は、原理的、抽象的にまとめると「他人の人生に関わっていく生き方として最適な解はあるや否や」というものでした。住職は、子供であっても家族であっても他人に自分の意見を押し付けてはいけないと言い、僕は、子供や家族にはもっと「おせっかい」を通して(自分が責任を負うことで)人生に関わっていくべきだと言いました。今日はその続き。


 お坊さんが例えば檀家さんからアドバイスを求められた時の態度として、こちらがお坊さんだから相談されているのだということが明らかな場合は、それに答えていかねばなりません。世間の目線からは見えない真理を探究するのが宗教家ですから、その人の生き方を変えてしまうような一言を言ってあげる(こっちにそのつもりはなくても結果的にそうなるものです)のも、お坊さんとして求められている場合があるのです。ここでもアドバイスの引き受け責任が生じます。とはいえ、その重さは、自分の子供や家族の比ではありません。この重圧感を考えてしまうと尻込みしてしまうのも確かでして、人生経験が少なすぎる僕にはまだまだ修業が必要です。人生経験豊かな住職には是非もっと他人の人生を変えてしまう責任を引き受けていただきたい、そういう気持ちが高じて議論になったのでした。


 ただし、出家の立場として取るべき距離感は常に測っていかないといけないと思います。近すぎず遠すぎず。いつも「この距離」というわけでなく、相手によって変化する距離感、というのが難しいのです。安請け合いは逆に無責任になったりもします。


 結局のところ、結論が出るような話ではありません。僕が住職になったときに、今僕が求めたような引き受け責任を取れる自信はまだありませんし、偉そうなことを言う割には実践できていないという情けない自分がまたそこにあるわけです。まだまだ険しい修業は続きます・・・



個人の生き方と家族の関わり方

5/5(火曜日)


朝 月参り2件、満中陰


昼 ジム


夕 家庭教師


 またちょっと空いてしまったジム通いを再開。フルコースでへとへと。家庭教師は前回の続きで化学と英語。


 夜、住職と「個人の生き方と家族の関わり方」について議論になりました。住職としては、子供にせよ大人にせよ、個人の人生を決定づけるのは自分自身であるべきだという考えです。自分の意見を(嫌がっているのに)押し付けて他人の人生を変えてしまうのはよくない、と。また、困っている人の話を聞いていろいろアドバイスをするときも、良い方向に向かって欲しいとは思っても、その人にとっては他人である自分の意見を押し付けるべきではないという考え方です。


 僕の意見も大筋では同じですが、それは赤の他人に対してであり、かつ自分が一般人(在家)であるときに望まれる生き方であって、自分の子供や家族に対してそんな関わり方でいいのか、また出家としてそういう立場で良いのかという点で疑問がありました。


 僕自身、結婚もしておらず子育てについて云々するのは非常におこがましいということは重々承知の上で述べますが、子育てはやはり親の責任事項だと思います。子供が自分がやりたいように育てて(放任して)うまくいくのは理想です。でも、子供の低い目線では見えていない物でさえ、見えている(べき)者が大人ですから、子供がやってはいけないことをやりそうな時、またやるべき時にやらないでいる時など、親は大人として積極的に子供の人生に介入すべきだと思うのです。それを放ったらかしにしてしまうのが育児放棄であり、また、何でもかんでも悪いことは全部学校の先生の責任に転嫁してしまうバカ親になるのです。オレは自由に育ててるのに学校の先生が変なことを吹き込むから息子がグレたんだとか、お金を払っているんだから保育園でしっかりしつけてよとか。大人がとる態度ではないことは明らかです(大人が「大人」であるための努力が必要ということでもあります)。


 相手が子供でなくても、家族の一員であれば、ある程度の「おせっかい」は必要だと思います。それをして良いのは家族だからでしょう。そうやって「おせっかい」をすると、当然ながら自分の方にも責任が生じます。それを自分が引き受けていけるというのも家族だからなんです(他人への「おせっかい」責任を引き受けるのは勇気がいりますよ)。放任主義が往々にして無責任と同義になるのは、原理的に、責任の引き受け手のことを明示しないからです。放任した結果責任は全部自分が引き受ける、という態度を公言して初めて、放任主義は意味を持つ、と言い換えてもいいでしょう。でも、たいていの人はそんなことしません。いや、できませんよ。無限責任ですから。だから、褒める時も叱る時も、責任を負うことを恐れてはいけないんです。家族なんですから。


 ・・・ちょっと長くなってしまいました。続きは次回に。



2009年5月1日金曜日

『無功徳』(玄侑宗久、海竜社/2008)

朝 休み


昼 写経会


夕 休み


毎月1日は写経会を本堂でやっています。1時間で般若心経を書いていただき、仏前に納経して、お話をします。いつもは住職がさせてもらいますが、旅行中のため僕がピンチヒッターでさせてもらいました。


話のお題は、玄侑宗久さんのご著書『無功徳』(海竜社/2008)から、丸暗記の効能について。仏道の修業において目指すところは「私」からの解放である、とするならば、お経を丸暗記して何度も繰り返し唱えることはかなり優れた修業である、という話。暗記したお経を読むのに、考え事をしながらというのはかなり難しいです(できないわけではないが確実性に欠けます)。ということは、しっかり思い出しながらお経を唱えることで余計な考え事(「私」の作用)をすることがなくなるというわけであり、難しい瞑想を続けるのと同じような効果が見込めるということです。なるほど。


こういう話は檀家さんにも説明しやすくてよいですね。もちろん、お坊さん向けになると宗派によっては読経の作法が異なりますので、伝え方を変えないといけません。漢字を読むのではお釈迦さまの本当の言葉が通じないからインドの言葉のまま読めとか、間違えてはいけないから経本を奉持(ぶじ)してしっかり読めとか、意味がわからないとありがたくないから日本語書き下しで読めとか、まあいろいろ伝統教団は言うわけです。でも、「私」を離すのが目的であるという原点に戻るのなら、どれもバッテンなのですね。言語の種類は関係ないし、目で読んじゃうといろいろ考え事もできますし、書き下しだと意味を考えてしまいます。これでは「私」から離れられません。却ってお経の意味なんてわからなくても平気っていうおばあちゃんの方が和尚さんよりも悟りに近いとすら言えるわけです。何事もきっちり決められた通りやる方が優れているというわけではないんですね。諸行無常なんですから、枝葉末節の部分は刻々と変わって当然です。仏道修行って時々こういうようなイタズラが顔を出すようで、本当に難しいなあ。


本書はこの他にも紹介したいことが山ほどあります。また時間があればアップしてみます。