2009年5月6日水曜日

個人の生き方と家族の関わり方 その2

5/6(水曜日)


朝 月参り3件、納骨、百か日・納骨


昼 満中陰・納骨


夕 月参り1件


 連休最後の日はハードでした。お葬式が入ったので、住職が行くはずだったお参りを全部引き受けました。誠心誠意で法要を修めますので、さすがに1日中ぶっ通しのスケジュールでは疲れ方が普通ではないです。最後のお参りが終わってから20分昼寝(夕寝?)しました。


 前回のつづき。


 前回のお話は、原理的、抽象的にまとめると「他人の人生に関わっていく生き方として最適な解はあるや否や」というものでした。住職は、子供であっても家族であっても他人に自分の意見を押し付けてはいけないと言い、僕は、子供や家族にはもっと「おせっかい」を通して(自分が責任を負うことで)人生に関わっていくべきだと言いました。今日はその続き。


 お坊さんが例えば檀家さんからアドバイスを求められた時の態度として、こちらがお坊さんだから相談されているのだということが明らかな場合は、それに答えていかねばなりません。世間の目線からは見えない真理を探究するのが宗教家ですから、その人の生き方を変えてしまうような一言を言ってあげる(こっちにそのつもりはなくても結果的にそうなるものです)のも、お坊さんとして求められている場合があるのです。ここでもアドバイスの引き受け責任が生じます。とはいえ、その重さは、自分の子供や家族の比ではありません。この重圧感を考えてしまうと尻込みしてしまうのも確かでして、人生経験が少なすぎる僕にはまだまだ修業が必要です。人生経験豊かな住職には是非もっと他人の人生を変えてしまう責任を引き受けていただきたい、そういう気持ちが高じて議論になったのでした。


 ただし、出家の立場として取るべき距離感は常に測っていかないといけないと思います。近すぎず遠すぎず。いつも「この距離」というわけでなく、相手によって変化する距離感、というのが難しいのです。安請け合いは逆に無責任になったりもします。


 結局のところ、結論が出るような話ではありません。僕が住職になったときに、今僕が求めたような引き受け責任を取れる自信はまだありませんし、偉そうなことを言う割には実践できていないという情けない自分がまたそこにあるわけです。まだまだ険しい修業は続きます・・・



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