2009年5月1日金曜日

『無功徳』(玄侑宗久、海竜社/2008)

朝 休み


昼 写経会


夕 休み


毎月1日は写経会を本堂でやっています。1時間で般若心経を書いていただき、仏前に納経して、お話をします。いつもは住職がさせてもらいますが、旅行中のため僕がピンチヒッターでさせてもらいました。


話のお題は、玄侑宗久さんのご著書『無功徳』(海竜社/2008)から、丸暗記の効能について。仏道の修業において目指すところは「私」からの解放である、とするならば、お経を丸暗記して何度も繰り返し唱えることはかなり優れた修業である、という話。暗記したお経を読むのに、考え事をしながらというのはかなり難しいです(できないわけではないが確実性に欠けます)。ということは、しっかり思い出しながらお経を唱えることで余計な考え事(「私」の作用)をすることがなくなるというわけであり、難しい瞑想を続けるのと同じような効果が見込めるということです。なるほど。


こういう話は檀家さんにも説明しやすくてよいですね。もちろん、お坊さん向けになると宗派によっては読経の作法が異なりますので、伝え方を変えないといけません。漢字を読むのではお釈迦さまの本当の言葉が通じないからインドの言葉のまま読めとか、間違えてはいけないから経本を奉持(ぶじ)してしっかり読めとか、意味がわからないとありがたくないから日本語書き下しで読めとか、まあいろいろ伝統教団は言うわけです。でも、「私」を離すのが目的であるという原点に戻るのなら、どれもバッテンなのですね。言語の種類は関係ないし、目で読んじゃうといろいろ考え事もできますし、書き下しだと意味を考えてしまいます。これでは「私」から離れられません。却ってお経の意味なんてわからなくても平気っていうおばあちゃんの方が和尚さんよりも悟りに近いとすら言えるわけです。何事もきっちり決められた通りやる方が優れているというわけではないんですね。諸行無常なんですから、枝葉末節の部分は刻々と変わって当然です。仏道修行って時々こういうようなイタズラが顔を出すようで、本当に難しいなあ。


本書はこの他にも紹介したいことが山ほどあります。また時間があればアップしてみます。



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