2009年5月27日水曜日

僕がかんがえる布教活動とは?

朝 月参り4件


昼 月参り2件


夕 国際経済予測レポート作成


 月参りはお経を読むのも大事だけど、その後でいろいろとお話をしたり聞いたりすることにとても大きな意味があります。ご先祖様の供養だけが目的でしたらお経だけでいいのですが、お坊さんにはもう一つ「布教」という大きな目的があるのです。布教といっても、昔ながらの、お坊さん→檀家さんというような「教えてあげる」というパターンのやり方だけでは通用しません。メディアの発達や教育水準の高まりのおかげで、お坊さん以上に物事に詳しい人はざらにいらっしゃるので、偉そうに知識を振りかざすだけでは全くお呼びではなくなるのです。ではどうするのが本当の布教なのでしょうか。


 ざっくり言って、「日々生まれてくる不安を無くすために、どのように仏教を利用すればよいのかを提案すること」が僕の考える布教活動です。何でもかんでも「○○上人のお言葉ですから▲▲しなさい。」(○○には各宗派の宗祖の名前が入ります)ではすみません。だいたい時代背景が違いすぎて悩みの種類と解決策がマッチするはずがないのですから。なので、現代的な問題点を上辺だけでなく本質をきっちり把握して、解決策(仏教的修業ということになります)を的確に提示できてはじめて「布教」なのだと僕は考えます。ま、こうして書くのは簡単なのですが実践するとなるとかなり難しいです。


 お坊さんは出家と呼ばれるように、世間とはちょっと距離を置いた生活をするのが元々の生き方です。ですが、在家の方々が何において悩んでいるのか、どういうところに不安を持っているのか、それがわかっていなければただの「世間知らず」として、話すら聞いてもらえないかもしれません。それではお坊さんは世間で役に立たない存在になってしまいますから、世間との最低限の関わりは残しておくべきだと思っています(最低限というのは妻帯とかも含めてしまいます、僕の場合は)。そうしてこそお坊さんの話に耳を傾けてもらえて、皆が「ちょっと仏教的な生活をやってみようかな」という気持ちも生まれるのだと思います。


 世間の悪い風潮には流されず、物事の本質を追求して仏法を求め、(仏法を知らない)衆生を導いていく。僕の布教活動は今後もこうありたいと思います。



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