2009年5月17日日曜日

仏教的に考えることの一例としてのインフルエンザ問題考察

朝 月参り3件、法事


昼 法事2件、仏壇魂抜き


夕 家庭教師


 ご覧の通り、毎週日曜日は超ハードなスケジュールです。若いからいいものの、こんなスケジュールが続くとどうしても身も心も病んでしまいそうです(変わったお坊さんが多いのもそのせいなのかも)。たまには気分のリフレッシュが必要ですね。ちなみに僕の場合は、毎週月曜日の本山(京都)での研修会&習字の機会が貴重なリフレッシュタイムです。


 法事が3件あったわけですが、1件目は百か日。別名「卒哭忌(そっこくき)」とも言われ、仏教オリジナルではなく儒教的なお弔いの法要です、というお決まりのお話の後、「縁」のお話をしてみました。ちょうどインフルエンザが流行っているこのタイミングで、発病する人としない人にはどんな差があると思われますか?という問い掛けから、僕はお釈迦さまの教えに従って考えるならば「発病するためにはそれに必要な何らかの原因となる要素、とりわけ日ごろ抱いている悪い感情が起因しているのではないか」という私論を展開しました。不景気で町中の大多数が将来を悲観したり不安感で一杯である時に決まっておかしな病気が流行るので(歴史がそれを証明しています)、「がっかりしたり」「悲観したり」「気持ちが腐ったり」という「因縁」が発病という形で「結縁」している、というわけです。仏教的に考えるというのはこういうことなんですよ、正しいかどうかはまだわかりませんが、なんていう話でした。


 2件目は満中陰。位牌と仏壇にお魂を入れました。決まってお魂の話をします。以前ここでも書きましたね。それから、故人の供養についてお坊さんができることは限られていますから、ご家族や親戚が主体となって供養を続けてくださいね、といつものお話。他人であるお坊さんができることは、遺族の皆様方が供養の気持ちを向けやすくなるように環境を整えるお手伝いすることぐらいなのです(一般の方では難しく、重要なことではありますが)。


 3件目は中陰四七日。ものすごく丁寧な御宅で、こちらが恐縮してしまうぐらいの対応をいただきました。


 ふー。疲れた・・・しっかり休んで明日からに備えます!



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