2009年5月8日金曜日

大掃除の1日

朝 月参り2件


昼・夕 休み(部屋の掃除)


 嵐の前の静けさか、今日は朝のお参りのみ。明日からがベラボーに忙しくなります。


 雨っぽい天気が続きっぱなしだったので、好機と思い大掃除を断行しました。お坊さんは1に掃除と言われるぐらい掃除が大事な行なのですが、忙しさにかまけてなかなか継続的な掃除ができていません。大いに反省するところであります。それはともかく、今日は時間がたっぷりあるということで、机の上を極力綺麗に整理してみました。


 やっぱりキレイな机はいいものですね。汚れてきたらまとめてドカッと掃除!というクセはなかなか治りそうにありませんが(治そうという努力がそもそも足りません・・・)これでまた心機一転がんばれるというものです。



2009年5月7日木曜日

着々とランニングな1日

朝 月参り3件


昼 ジム(ランニングのみ)


夕 月参り1件


 ほぼ1日中雨だったので、ジムに行きました。ここなら天気を気にせず運動できます。ただし、筋トレしてから中1日ですので筋肉痛がとれておらずランニングのみのメニューにしました。


 10km走ったところで切りも良いのでストップ。後はサウナに入って、帰ってすぐにお参りに。


 夜は残務整理。明日から住職が東京に遊びに・・・否、勉強しに行くので、法事の準備とかをやっておきます。今週も土日は忙しくなりそうです。



2009年5月6日水曜日

個人の生き方と家族の関わり方 その2

5/6(水曜日)


朝 月参り3件、納骨、百か日・納骨


昼 満中陰・納骨


夕 月参り1件


 連休最後の日はハードでした。お葬式が入ったので、住職が行くはずだったお参りを全部引き受けました。誠心誠意で法要を修めますので、さすがに1日中ぶっ通しのスケジュールでは疲れ方が普通ではないです。最後のお参りが終わってから20分昼寝(夕寝?)しました。


 前回のつづき。


 前回のお話は、原理的、抽象的にまとめると「他人の人生に関わっていく生き方として最適な解はあるや否や」というものでした。住職は、子供であっても家族であっても他人に自分の意見を押し付けてはいけないと言い、僕は、子供や家族にはもっと「おせっかい」を通して(自分が責任を負うことで)人生に関わっていくべきだと言いました。今日はその続き。


 お坊さんが例えば檀家さんからアドバイスを求められた時の態度として、こちらがお坊さんだから相談されているのだということが明らかな場合は、それに答えていかねばなりません。世間の目線からは見えない真理を探究するのが宗教家ですから、その人の生き方を変えてしまうような一言を言ってあげる(こっちにそのつもりはなくても結果的にそうなるものです)のも、お坊さんとして求められている場合があるのです。ここでもアドバイスの引き受け責任が生じます。とはいえ、その重さは、自分の子供や家族の比ではありません。この重圧感を考えてしまうと尻込みしてしまうのも確かでして、人生経験が少なすぎる僕にはまだまだ修業が必要です。人生経験豊かな住職には是非もっと他人の人生を変えてしまう責任を引き受けていただきたい、そういう気持ちが高じて議論になったのでした。


 ただし、出家の立場として取るべき距離感は常に測っていかないといけないと思います。近すぎず遠すぎず。いつも「この距離」というわけでなく、相手によって変化する距離感、というのが難しいのです。安請け合いは逆に無責任になったりもします。


 結局のところ、結論が出るような話ではありません。僕が住職になったときに、今僕が求めたような引き受け責任を取れる自信はまだありませんし、偉そうなことを言う割には実践できていないという情けない自分がまたそこにあるわけです。まだまだ険しい修業は続きます・・・



個人の生き方と家族の関わり方

5/5(火曜日)


朝 月参り2件、満中陰


昼 ジム


夕 家庭教師


 またちょっと空いてしまったジム通いを再開。フルコースでへとへと。家庭教師は前回の続きで化学と英語。


 夜、住職と「個人の生き方と家族の関わり方」について議論になりました。住職としては、子供にせよ大人にせよ、個人の人生を決定づけるのは自分自身であるべきだという考えです。自分の意見を(嫌がっているのに)押し付けて他人の人生を変えてしまうのはよくない、と。また、困っている人の話を聞いていろいろアドバイスをするときも、良い方向に向かって欲しいとは思っても、その人にとっては他人である自分の意見を押し付けるべきではないという考え方です。


 僕の意見も大筋では同じですが、それは赤の他人に対してであり、かつ自分が一般人(在家)であるときに望まれる生き方であって、自分の子供や家族に対してそんな関わり方でいいのか、また出家としてそういう立場で良いのかという点で疑問がありました。


 僕自身、結婚もしておらず子育てについて云々するのは非常におこがましいということは重々承知の上で述べますが、子育てはやはり親の責任事項だと思います。子供が自分がやりたいように育てて(放任して)うまくいくのは理想です。でも、子供の低い目線では見えていない物でさえ、見えている(べき)者が大人ですから、子供がやってはいけないことをやりそうな時、またやるべき時にやらないでいる時など、親は大人として積極的に子供の人生に介入すべきだと思うのです。それを放ったらかしにしてしまうのが育児放棄であり、また、何でもかんでも悪いことは全部学校の先生の責任に転嫁してしまうバカ親になるのです。オレは自由に育ててるのに学校の先生が変なことを吹き込むから息子がグレたんだとか、お金を払っているんだから保育園でしっかりしつけてよとか。大人がとる態度ではないことは明らかです(大人が「大人」であるための努力が必要ということでもあります)。


 相手が子供でなくても、家族の一員であれば、ある程度の「おせっかい」は必要だと思います。それをして良いのは家族だからでしょう。そうやって「おせっかい」をすると、当然ながら自分の方にも責任が生じます。それを自分が引き受けていけるというのも家族だからなんです(他人への「おせっかい」責任を引き受けるのは勇気がいりますよ)。放任主義が往々にして無責任と同義になるのは、原理的に、責任の引き受け手のことを明示しないからです。放任した結果責任は全部自分が引き受ける、という態度を公言して初めて、放任主義は意味を持つ、と言い換えてもいいでしょう。でも、たいていの人はそんなことしません。いや、できませんよ。無限責任ですから。だから、褒める時も叱る時も、責任を負うことを恐れてはいけないんです。家族なんですから。


 ・・・ちょっと長くなってしまいました。続きは次回に。



2009年5月4日月曜日

旅行顛末記(超簡略版)

5/3(日曜日)


朝 月参り4件


昼 泉南へ旅行(1泊)


 梅田で食事後、JRの関空快速に飛び乗って、りんくうタウンへ。アウトレットモールで3時間。あ〜しんど。


 僕の目当てはジムで着るインナーウェア。アンダーアーマーが出店していたので、ラッキー!と思い、数点を確保。いやぁ安いですね ^^ しんどいのも元はとれました。さらにはアディダスで欲しかったインナーをゲット!これは先日、近所のスポーツデポで6千円ほどしていたもの。それが3千円ほどで買えるなんて・・・まあ、アウトレットですから、どこかに問題があるんでしょうけど、パッと見た段階では全く問題なし。使っていたら解るのかもしれませんが、まあ今の段階では良し!でしょう。


 駅前のワシントンホテルに宿泊。前日予約だというのによく空いていたものです。


5/4(月曜日)


朝 朝食後、犬鳴山温泉へ


昼 不動尊を拝み終わってから下山、遅い昼食後、梅田の餃子スタジアム


 終日旅行。犬鳴山は母の実家(泉佐野市)の近くで、小さい時によく連れていってもらっていたお山。不動尊をお祀りしていたのは今回行って初めて知りました(しかもかなり歴史の古い由緒正しいお山でした)。一通り山の中を歩き回って、不動口館で温泉に浸かったらもう2時。あちこちお参りしていたら時間が経つのを忘れますが、ふと気がつくと浦島太郎になっています。お山ってそういう魅力があるんですね。


 大阪でいろんな種類の餃子をほおばって家路に。今回も楽しい旅でした!



2009年5月2日土曜日

『一個人』6月号で仏像特集!買いました!

朝 月参り3件


昼 休み


夕 家庭教師


 法事は1件ありましたが住職が対応しました。 連休の割には忙しくない1日。朝のお参りは近所ばっかりだったので早めに上がり、天気も良かったので早歩きで散歩してきました(まとまった時間がとれればジムで走りたいところでしたが)。iPod nano(2世代前の細長いヤツ)に詰め込んだPodcastを聞きながらでしたので、途中ニヤニヤしたり笑ったり、道行く人たちからはおそらくヤバい若者に見えたことと思います。でもまあ、天気が良いのはそんな小さなことはどうでもよくなるのです。


 さて、明日も午前中に数件仕事が入っているだけなので、急遽、旅行に行くことに決めました。行き先は大阪の泉南、犬鳴山。宿はさすがにGWだし、前日ということもあって満員。関空の近所にワシントンホテルを見つけたので、そこに行くことに。でも、通常料金のコースしか空いてない・・・高いなあ。


 夕方、家庭教師。今日の化学は散と塩基。まだ高校2年生の簡単な分野だから、前準備なしでも十分対応できます。これが受験対策とかになってくるとこうは行きません。かなり準備がいりますね。化学の後は英語。リーダー中心。


 終わってからコンビニで雑誌を買いました。『一個人』の6月号(リンク先はまだ5月号)で、特集タイトルは「仏像入門」。ちょっと前には『BRUTUS』でもやってたよな・・・と思いつつ、保存版として購入。これであちこちのお寺に行った気になれます・・・



2009年5月1日金曜日

『無功徳』(玄侑宗久、海竜社/2008)

朝 休み


昼 写経会


夕 休み


毎月1日は写経会を本堂でやっています。1時間で般若心経を書いていただき、仏前に納経して、お話をします。いつもは住職がさせてもらいますが、旅行中のため僕がピンチヒッターでさせてもらいました。


話のお題は、玄侑宗久さんのご著書『無功徳』(海竜社/2008)から、丸暗記の効能について。仏道の修業において目指すところは「私」からの解放である、とするならば、お経を丸暗記して何度も繰り返し唱えることはかなり優れた修業である、という話。暗記したお経を読むのに、考え事をしながらというのはかなり難しいです(できないわけではないが確実性に欠けます)。ということは、しっかり思い出しながらお経を唱えることで余計な考え事(「私」の作用)をすることがなくなるというわけであり、難しい瞑想を続けるのと同じような効果が見込めるということです。なるほど。


こういう話は檀家さんにも説明しやすくてよいですね。もちろん、お坊さん向けになると宗派によっては読経の作法が異なりますので、伝え方を変えないといけません。漢字を読むのではお釈迦さまの本当の言葉が通じないからインドの言葉のまま読めとか、間違えてはいけないから経本を奉持(ぶじ)してしっかり読めとか、意味がわからないとありがたくないから日本語書き下しで読めとか、まあいろいろ伝統教団は言うわけです。でも、「私」を離すのが目的であるという原点に戻るのなら、どれもバッテンなのですね。言語の種類は関係ないし、目で読んじゃうといろいろ考え事もできますし、書き下しだと意味を考えてしまいます。これでは「私」から離れられません。却ってお経の意味なんてわからなくても平気っていうおばあちゃんの方が和尚さんよりも悟りに近いとすら言えるわけです。何事もきっちり決められた通りやる方が優れているというわけではないんですね。諸行無常なんですから、枝葉末節の部分は刻々と変わって当然です。仏道修行って時々こういうようなイタズラが顔を出すようで、本当に難しいなあ。


本書はこの他にも紹介したいことが山ほどあります。また時間があればアップしてみます。